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昨年末いのちを懸けた手術から生還した。以降、無用な殺生は勿論出来る限り殺生は止めることにした。 よって、渓流竿も捨てることにした。しかし、渓流への想いは絶ちがたい。 寺山修司ではないが、「竿を捨てて渓へ行こう」と決心した。 5月23日 下田原組と別れ、大杉谷に入ったのはとうに昼を過ぎていた。 そして、最悪なことに入渓ポイントには福井ナンバーの車が一台あるではないか。一瞬あきらめかけたが、大杉谷の清冽な流れへの想いが僕たちを引き留めてくれた。山本氏はいかにも釣り人と言いたげな格好で、僕は土建屋のおっさん風の格好で車を後にした。通常の下降路は外し、小さな枝尾根を忠実に辿りことにした。最後の急斜面は、手当たり次第木の枝をつかみ滑り落ちた。そして、谷底だ。 大杉谷は、いつものように透明極まりない流れで心地よい瀬音たてていた。時間的に余裕がないので、大場だけを探り釣り上がることにした。3ポイント目に今年初めてのイワナがピット。型はは20cm弱だが、魚籠に収める。後は、大物だけと決め釣り進む。 一時間半程度で魚止めに達する。ここで、山本氏大物をかける。一瞬、尺かと心臓がドキットするが、26cmであった。ここで、遅い昼食となる。勝山のコンビニで買ったおむすびを無心でほおばる。山肌は浅い緑に包まれ、そよ吹く風は頬に柔らかであった。時間もなにもかもが何処かに飛んでいく幸せな一時である。 だが、時計を観ると、3時半。時間的には、4寺半には渓を離れなければならい。僕たちは、ゆるりと立ち上がり、渓に別れをつげた。 4時半、いつもの巻き道を登り返し20分ほどで林道に辿り着く。後は、今宵の宿「つるの」を目指すのみだ。若い頃のようにぶっ飛ばすこともなく、周りの景色や花々を楽しみながら林道を降りて行くのであった。 5月24日 朝2時に目が覚める。外を見ると、本格的な雨であった。予定していた残雪の白山の撮影はあきらめ、もう一度布団に潜り込み、意識朦朧となる。再度目覚めると、時計は5時を指していた。昨夜、瀬名の道の駅で過ごした脇(20代からの山の戦友)親子を迎えに行く。 7時過ぎ、脇親子と白峰渓遊会全員とで朝食。その後、やかましい情報交換が始まる。 今日も、okamoto組は下田原谷へ、Waki、Kawakita組も下田原の下流へ向かう。脇の息子と山本氏はルアー竿を片手に渓に向かう。脇は一人で渓へとすっ飛んで行った。格好は昔ながらの奥美濃スタイル。知らない人は、山賊の子分と間違えること請け合いである。彼は、人がよすぎて親分にはなれない。僕は、花の撮影に専念することにした 午後1時、緑の村で全員集合。コーヒー付きのラーメンランチ。嬉しいことに、脇は僕の好物マルタイラーメンを用意してくれていた。やはり、山の戦友だ、そしてマルタイラーメンはかわらずうまい。 脇と再会を約束し白峰を後にする。 二度と渓流には立てないと覚悟していた僕にとっては、奇跡的な2日間であった。万感の思いをこめ、白峰の山々に手をふった。 |