風嵐谷源流行(07.01)

 水谷、岡本両氏より、漁協の組合長で民宿「つるの」の親爺から風嵐谷の源流に入る山越えルートを直接教えてもらったので行かないかとの連絡があった。以前より一度は入りたいと思っていたので、二つ返事で行くと伝えた。決行日は6月19日となった。9時前に白峰村に到着。9時を少し過ぎて教えられた道に入る。だがこの道は山越えルートではなく、送電塔の巡視路だったのであった。僕たちは一日中山中を歩き回り、風嵐谷の下部林道に降りてしまったのである。自宅に戻り記憶を辿りながら地図を見ると、辿ったルートは違っていることが明かであった。しかも、最近の2万5千図からは、山越えルートは消え去っているが、昔の5万図にははっきりと記されているではないか。もう一度行かねばと考えていたところに、再度挑戦の連絡が入り7月3日となった。しかし、家事の都合で行けなくなり、7月1日に一人で調査に出かけることにした。

7月1日
 午前1時半自宅を出発。地図で確認した山越えルートの入り口と思われるところに五時前に到着。先ずは、ルート入り口を探すとにした。入り口は簡単に見つかり、白い標柱が立っていた。標柱には、殆ど消えかかっているが「風嵐谷川」、「白峰渓業−−−合」と明記されている。もう間違えることはない、僕は地図をポケットにしまい込んだ。
標柱 山越え道
 支度を終え、5時15分車を後にする。今日は、ルートの詳細を報告しなければならないのでカメラで周囲の状況を撮影しながらの登行だ。道は、幾度と無く蛇行をくり返しながら高まって行く。漁協の人々が稚魚放流のために開拓した道は、実に上手く地形を利用しながら急登もなく息も切れない。向かいの山々が随分と低く感じられると、はや峠であった。時計は、5時40分を指している。峠を越え風嵐谷側煮立つと、薄墨色からようやく淡い蒼みを帯び始めた空が飛び込んでくる。今日一日の晴天を約束してくれている。耳を澄ませば、風嵐谷のせせらぐ音が間近に聞こえてくる。風嵐谷はもうそこなのだ。
 峠からは、山腹を巻くように道が付けられている。しばらく進めば、台地状の杉林が現れる。至る所に熊剥ぎの生々しい跡が見られる。熊よけの笛を何度も吹きながら杉林を過ぎると、再び雑木林の山腹道となる。しかし、道は谷に向かう気配がないので雑木の疎らなところを伝って降りることにした。5分足らずで風嵐谷に降り立つことが出来る。

 美しい谷だ。谷の斜面には、栃や桂の大木が点々と立ち、ミソサザエが盛んにさえずっている。流れる瀬はどこまでも透明で、朝の柔らかな木漏れ日を受けて七色に煌めき始めている。長い間憧れ続けていた風嵐谷源流に今こうして立っていると、無上の喜びが込み上げてくるのであった。
風嵐谷
 6時20分、釣り仕度を終え上流に向かう。谷は好ポイントの連続である。岩魚は、次々に仕掛けに飛びついてくる。しかし、いずれも15cm級ばかりである。だが、魚体は谷底を映したかのような見事さで彩られ美しいことこの上ない。絶好のどう見ても大物が潜んでいそうな大きな淵でも、竿を揺らすのは20cm足らずの岩魚達であった。大場も次々と現れるが、魚影は次第に薄くなって行くのであった。2時間ほど釣り上がった所で今日一番の岩魚が、意外なところから出てびっくりさせられる。26cm見事な魚体であった。弱らぬように素速く写真に収め放流。岩魚は、ゆらりと元の瀬に戻って行ったのであった。
見事な岩魚
美しいナメ滝
 尚も釣り上がるが、大物は出ない。1時10分、まだまだ水量も多いが竿を収めることにした。遅い昼食を楽しんだ後、背を上流に向け再び立ち上がったのである。30分ほどで元の地点にたどり着く。朝下降した斜面を10分ほどで登り返し、3日に来る仲間のために赤いハンカチを木の枝に括り付け目印とした。往路を辿り、今日一日のことを振り返りながらゆっくりと帰路についたのであった。