20年来の釣友である山本氏に「週末どうや」とメールすると、二つ返事で「行こう」との返信があった。初めは福井の日野川の支流である田倉川源流あたりを考えていたが、「どうせ行くなら尺ねらいにしよう。」「尺ねらいなら一泊で。」「せっかく一泊なら手取川はどうや。」と話がふくらみ、結局「白峰」に行くことになった。 5月10日 朝が飛び切り弱い山本氏が9時過ぎに我が家にやってきた。釣りにしては遅すぎるが、荷物を四駆の車に積み替え、しばらく庭の花などを相手に雑談した後9時45出発。敦賀で昼食をとり、今晩と明日の朝の食料を仕入れ北陸道に入る。約40分ほどで福井北で高速を降り、国道416号を辿る。その国道が街並みを過ぎ九頭竜川に沿うようになると、報恩寺から経ヶ岳にかけての山なみが車窓全面に拡がる。経ヶ岳はまだまだ豊かな残雪をまとっている。416号に別れをつげ157号に入るといよいよ谷峠への道である。2時半に白峰に到着、国道筋の残雪はさすがに消えている。今日は大杉谷に入り2〜3時間ほど夕方の釣りを楽しみ、そのまま河原で一夜を過ごす予定である。 大杉谷に入ると、林道は春の花が至る所で咲き誇っている。中でも、白い淡い花を付けたウワミズザクラが印象的だ。谷間からはまだまだ白い白山前衛の峰が時折姿を見せてくれる。数10分を要して入渓点に至る。車を止め、3時丁度谷を目指して下降を開始、10分ほどで谷に降り立つことができる。大杉谷の流れは予想より遙かに豊かな雪代で轟々として白く泡立っている。ちょっと竿を出してみたが釣りにならない。すぐ本流を離れ支流に入る。水温を測ると7度と低く、釣果はあまり期待出来ない。釣り上がって30分ほどで20cm級の岩魚が仕掛けに飛びついてくれる。もう、さびはとれ一年ぶりに目にする綺麗な魚体だ。途中、ウドやコゴミを摘みながら釣り上がっていくが放流サイズの岩魚が数匹竿を軽くしならすのみであった。魚止めの滝でふと振り返ると、5mほど下流の岩の上に体長2m位の立派なかもしかがきょとんとしてこちらを見ている。動く気配もなく写真を撮りたいが、不注意でカメラを流れに落としてしまったので写真に収めることができないのが残念である。 時計を見ると5時半を過ぎている。切れ込みの深い大杉谷にはもう夕闇が迫っているのだ。僕たちは、急いで斜面を駆け上がった。後は林道を戻り、予定していたとおり途中で左手に分かれる道から今日の野営地である河原に降りる。 夕食は豪快だ。炭火で焼いた一夜干しの鰯と鰺の干物、ウド、山葵、コゴミ、それに山本氏持参の浜ボウフの酢みそ和え、ウドとコシアブラの新芽の炒め物、焼きウドの塩ふり。飲み物はチリ産の白ワインフルボトル2本、缶ビール制限無しである。狭い谷間にはまだまだ冷たい夜風が吹き渡り、夜空には多くはのぞめないが春の星の代表格である北斗の七つ星が冴えている。谷の上流をのぞめば、夜目にもそれと分かる残雪を付けた白山に通じる山々が横たわっている。そんな河原で、僕たちは焚き火を囲み夜遅くまで酒を飲交わし、山菜や干物を楽しみ、色々な事を語り合った。その内容は今はもう思い出せないが、脳裏深くに沈殿しある時ふとよみがえってくるに違いない。それは、この世とやらに「あばよ」と手を振る時かも知れない。拾い集めた流木はなおも燃え続けているけれども、11時ごろシュラフに潜り込み深い眠りに落ちていった。 5月11日 あまりの寒さに5時前に目が覚める。ウェーダーを履き、ありったけのシャツを身につけ朝食前の釣りを楽しむことにした。僕は、いつもの通り0.6号の通しに鮎の掛けバリ矢島8号の仕掛けだ。山本氏は、川幅が広いのでルアーで。ロッドは6フィート、ラインはナイロンの6ポンド、ルアーはCotac製のスプーン3gである。そのルアーに20cm級の岩魚がヒットした。2時間ほどで朝の釣りは終え、パンとコーヒだけの簡単な朝食を取り、8時を少し回った頃大杉谷に別れを告げ、今日の目的地へと向かったのであった。 それは偶然であった。道を間違え知らぬまに何処か分からない幻としか思えない谷に迷い込んでしまったのである。堰堤を越えると雑木林で覆われたこの上もなく美しい流れが僕たちを待っていてくれたのであった。流れ下る瀬はまるで水晶を溶かしたように透明で、その川面は朝の柔らかな陽に銀白色にきらめき、山肌を被う木々達は萌黄色のパステルで描いたような若葉をで装っているのであった。人が入った形跡はな全くなく、しばし二人とも声も無いほどの桃源の世界だ。竿を出すと直ぐに山本氏の竿が大きくしなった。次いで僕の竿もしなった。尺ものが潜んでいる気配は充分である。ただ、魚の活性は水温が低い分弱く当たりも微かである。岩魚は、長い冬から目覚めたばかりのようだ。僕たちはゆっくりと黄緑色の回廊釣り上がって行き、そしていかにも大物潜んでいそうな淵に行き着いたのであった。山本氏が岩の上から慎重と仕掛けを流すと予想通り大物が竿が突然大きくしならした。到底引き抜くことは出来ないほど重い岩魚だ。たもを忘れたので、びくをたも代わりに岩魚をすくい上げた。体長こそ27cmであったがあまごを思わす程の巾広の今日一番の岩魚であった。なおも釣り上がり、1時丁度竿を仕舞うことにした。水温が上がり魚たちが盛んにえさを求めて瀬を泳ぎ廻る季節にもう一度だけ訪れることを誓い幻の谷を後にしたのであった。 |