標高1132mの横山岳は琵琶湖の北端、昔風に云えば近江の国が美濃、越前と間近に接する位置する山である。南面より望むその山容は誰が見てもそれと判るほど際だっている。具体的に云えば、山頂が横に長く、見事なほど左右が対称な台形状を成しているのである。特に豊かな残雪を抱いた2月から3月にかけてその姿は最も誘惑的になるのである。山名もその山容に由来することは誰も異存はないと思われる。
3月31日
3月も終わり近づくと、下界では人々は花々に心を奪われ始める。だが俺たち山男は残雪を求めてあの「横に長い」白い台形の頂を目指すのだ。ルートは姉川上流の菅並の村から小市谷を遡り鳥越峠に至り、そのまま三高尾根と呼ばれる尾根を伝い長い頂きの西の端にある三角点踏もうというのである。
親切で純情で40円もバス代をまけてくれた気前の良い、しかも美しい女性の車掌さんに教えもらった通り終点の一つ手前の停留所でバスを降りる。車掌さんに手を振って別れれを告げ、さあ出発だ。民家の間をくぐり抜け、小市谷入り左岸の径を10分も辿れば早くも残雪を踏むようになる。谷の瀬は雪解の水で濁りザワザワと騒ぎ、木々の芽のふくらみは極みに達している。僕たちは、セータを脱ぎ捨てシャツ一枚になり谷を遡った。それでも身体にはには汗がにじんだ。さすがに谷を渡る風はまだまだ冷たく汗ばんだ頬に心地よい。大きな谷を左手に二つ見送ると目指す峠は間近だ。そして雪とイバラが混じり合った急斜面を登り切ると、正面に金糞岳の残雪に被われた白くて大きな山容が迫る峠であった。
峠から700mまでの尾根は急である。その先は、意外にもここが藪山とは思えないほどの滑らかで広い雪稜が現れる。そしてその雪稜に見事な一条のスキーのシュプールが刻まれていた。一糸乱れぬとはこのことである。左右に同じ大きさの円弧が連続して描かれているのだ。おもわず「おぬしやるな」と口走ってしまた。僕たちはその横に不細工ながり股のかんじきのヨレヨレの足跡を残して行くばかりであった。最後の急斜面でそのヨレヨレが極まった時頂上であった。「12時45分頂上、風冷たく、しかも強し」と手帳に記した。そして、何時もように周囲の山々を見渡すのであった。東の空には蕎麦粒山が鋭角状の姿で挑発的にそびえ立っている。高丸(黒壁)、烏帽子の量感も魅力的である。
山頂を吹き抜ける風に身を任せながら昼食を採り、何度も山々を見渡し、そして1時20分頂上を辞した。
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