笹ヶ峰(早春の残雪街道)

4月1日
 午前10時40分、日野川最奥の今は廃村となった大河内の少し上流で谷を離れ尾根に取り付いてから、ちょうど3時間を費やしてロボット雨量観測所まで登りつくことが出来た。地図上で云えば5万図「冠山」の左下部の美濃と越前を分かつ標高1200有余メートルの国境稜線上だ。

 今日の旅の目的地は、ここからほぼ真北に小さな鞍部を2つほど越えた笹ヶ峰である。実を云うと、この笹ヶ峰は途中まで径もあり、奥美濃の山々にあっては比較的登りよい山の類に入っていると思われるのであるが、不思議に僕にとっては遙かで遠い山なのだ。今までに8年間に4度試みて、天候や時間のため一度もその頂踏めなかったのである。憎っくき山5指にの1つに入っている山なのだ。

 しかし、今日はどうだ。時計の針はまだ11時の前にとどまっているではないか。仰げば、雨など一滴たりとも落ちてはきそうもない淡い蒼みを帯びた寒空が烈しく流れるちぎれ雲の向こうに広がっているのだ。そして頂へは最早1時間もかかりそうもない位置に僕はいるのだ。

 目指す山の頂を間近に望みながらの一息は、心豊かなものだ。それに、もう遮るものなど何ひとつ無いのだ。一枚のビスケットをほおばり、時間をかけて一杯の紅茶を飲干した。そして、11時丁度に、リュックを背負う。

 辿る国境稜線は、思っていたよりはるかに豊かで、しかとしまった残雪をまとい、いまだ春のざわめきに目覚めていない。国境を渡る風は、刃のように鋭く、冷たく、そして強い。僕は、そんな春浅い残雪街道を、それでも汗を少しにじませながら頂に向かって着実に山靴をきしませるのである。小さな鞍部をすぎ、不動、千回沢山を岐る尾根を右手に見送り、ちょっとしたピークを越せば、笹ヶ峰が視界いっぱいに広がり大きくせり上がるのであった。そのピークを少し降り、残雪を求めて越前側の斜面を登り返せば、嗚呼、頂であった。

 北には、いつものように加賀白山が完璧な白さで空を圧している。それでも、今日は何処よりも高い高い海抜1285メートルなのだ。「行こうと」決めてから8年目にして辿り着いた遠い遙かな頂なのだ。

 あらためて眺め渡せば、幾重にも波打つ山ばかりである。それらは、尽くせぬ想いを込めて通い詰めた山々なのだ。風は相変わらず強く、国境稜線を渡っていく。そして、その早春の寒風は遠い日の山々記憶を呼び覚ましながら、僕の心の中を軽やかに吹き抜けていくのである。

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