国見峠(ある日突然)

 これから辿ろうとする峠を「国見峠」と云う。「国見」とは国を一望の下にできるほど眺めの良いところと云うくらいの意味であろう。由来はさておき、国見と云う地名か全国にまたがり数多く見うけることができる。よく用いられる地名のベスト10に入っているかは知らないが、人気を集めていることは確かであろう。

 ここで云う「国見峠」とは、近江を美濃にまたがる峠路のことである。すなわち、美濃の一大河川である揖斐川の支流粕川と琵琶湖東岸を流れる姉川流域を結ぶ路なのだ。その歴史はよくは判らないが2〜300年程はさかのぼることが出来る。だがそれとて、微かににうかがえるのみである。往時の江美の主要路が中山道、あるいは藤川越であったことをを思うと、名こそ政治的ではあるが、あくまで脇道であり裏街道であったのだ。世に云う歴史の流れの外で時は駆け巡っていったのだ。そんな人知らぬ峠路はなにも気取って行くことは無い。気の向くまま、季節が春浅い頃ならば谷間に残る雪の反陽を浴びながら、夏の盛りならば夏草の熱気をかき分けながら行くのもいいだろう。そして今はは秋の終わり、透きとおる風に吹かれながら越えて行こうと思うのだ。

11月17日
 近鉄揖斐駅で美束行のバスに乗り換えて粕川を遡る。東流していた粕川は、川合で方向をほぼ90度流れを回転させる。終点の美束はそこより20分程の処だ。バスを降りると秋の冷たい風がビューンといささか手荒い出迎えをしてくれる。橋を渡り鎮守の杜をくぐり抜けると正面にセピア色の山野が展ける。中郷、尾西、千疋と三つの村を過ぎる家並みは尽き、その先には、谷間に沿ってすっかり刈り入れの終えた山田が続くのみである。畦には真っ赤な実を残した柿の木が寒々と立っている。間抜けな奴は渋柿とも知らずにガブリとやって悔しがっている。僕は木をチラリと見ただけで「甘渋」を判別できるのでそんなドジなど踏まない。だがその秘訣はそんなに簡単には教えられない。過去には、辛くも渋い試練の道があったのだ。

 林道は尾西谷左岸に沿って国見平続いているが、途中より旧道に入ったほうが趣があると云うものだ。しかし、この辺りの径はやたらと岐けるので迷うことはなはだしい。迷い迷い進む中に、今は捨てられた畑に出合う。谷から離れた少し高まった実に眺めの良い処である。しばし立ち止まり、国見の名が付けられたことに納得する。正面に位置する槍ヵ先の頂は、低いながらも名の通り鋭く尖り魅力的だ。貝月山は複雑な輪郭で蒼空と接している。振り返れば、尾西山が屏風のように立ちはだかっている。国見峠は直接見ることはできないが、尾西山の単調な稜線が左に落ちきった処であることは間違いない。

 旧道が再び林道に出合うと国見平はすぐそこにある。切り崩された林道の斜面をはい上がると大きな国見山荘が正面に望まれる。国見平はその背後に広がっている。

 晩秋の国見平は、すっかりほうけた芒が累々とし、果ては知れない。貝月から槍ヵ先にかけての山なみが早くも薄紅色に染まり、陽が傾くにつれて闇が刻々と山肌を被い始めている。陽が落ちると周囲はたちまちにして冷気に包まれる。星達が巡ってくるにはまだ早いので、いったん国見山荘へひきあげ、早めの夕食をとることにした。

 夕食は、天ぷらだ。鶏肉、人参、ピーマン、ちくわ、蓮根、蠣、サツマイモ・・・・。今日は、種類と量で勝負だ。だが、いくら量が多くてもてんぷらだけでは体は温まらない。早速、美束のバス停の前の村で唯一の雑貨屋で仕入れた安物のウイスキーHiHi-Nikka(俗称ヒヒニッカ、決してハイではない。)をあおった。安物とはいえ、やはりアルコール(この液体はウイスキーと称すよりアルコールと称したほうがふさわしい。陳謝!ニッカ株式会社殿)である。琥珀色の液体はしだいに五臓六腑に染み渡って行くのであった。

 体が温まると外に飛び出した。星の洪水である。天中には、銀河が冷ややかに流れ、その流れを白鳥が大きな翼を拡げ遡ろうとしている。カシオペアは少々間の抜けたWの字を傾けている。狼星ことシリウスは山のかげにあってまだ巡ってこない南天には、木星が一つ大きく影をおとしている。満時を過ぎたとはいえ、昴はそのきらめきを少しも失ってはいない。首が怠くなるまで星空をながめていると、急に天の巡りが速くなった。それも不規則に速度を変えて回り始めたのである。これはもしかして、あのHiHi-Nikkaのせいかもしれない。それにしても、今宵の星空に満ちる閃光の怪しいまでの鋭さは何事なのだろうか。

11月18日
 冬は突然やってきた。
 あまりの寒さに目を覚まし、恐る恐る小屋の窓から外を見渡すと、そこは一面の雪の世界であった。昨日まで野山を占めていた秋の気配は跡形も無く消え失せている。

 午前10時と云う何とも間の抜けた時刻に国見山荘に別れを告げ、峠にに向かう。辿る路は新雪で被われ、一歩踏み出すのもとまどう程の純白無垢の世界であった。小雪の舞う中、45分程で峠に着く。さすがに45分も坂道を歩くと、頬がほんのりと火照ってくる。小雪混じりの風が心地よく峠を渡っていく。予定していた尾西山は、「冬装備をしていないから」などと言い訳を云って、いとも簡単に放棄する。

 10時40分峠を後にし、近江側へと向かう路は一度谷に向かうが、「アシキマタ」と呼ばれる谷をさけるかのように再び尾根に取り付く。名の示すように「アシキマタ」は路など通すには悪過ぎる谷なのであろか。それならば、草鞋を履いて何時か遡ってみようか等と思いながら先へと進む。尾根を乗越すと、路は斜面を横切るように次ぎの尾根へと向かう。たどり着いた尾根には一体のお地蔵が寒々とたたずんでおられた。頭に積もった雪を振り払うくらいが僕たちに出来ることである。路は、たどり着いた尾根に沿って高度を下げ、そのままイタナゴ谷に降り付く。後は、林道を板並まで辿るだけである。1時55分板並着。降っていた雪は知らぬ間に霙に変わっていた。

   ▲top