冠山−シタ谷−(岸壁の冠城)

7月7日
 何時ものことながら旅立ちの時は嬉しいものである。ステーションビルで足りない食料やウイスキー等を買い足し、列車の乗り込めば気分はもう山の中である。国鉄、岐阜乗り合いバス、若丸タクシーと幾度も乗り換え下谷とヒン谷との出合に辿り着いた時はもう陽は暮れていた。遅い夕食は、お決まりのように徳山の雑貨屋で買った鱒の塩焼きとサラダに加えてソーメンである。もちろん、ビールにウイスキーは必需品である。最後は、一恵チャンの20+α回目の誕生日を祝う甘いアップルパイだ。とにかく、一恵ちゃん幸せになるんだ。

 だが今日はこれだけではないのだ。今日は7月7日七夕なのだ。天上では、年に一度のはかなくも熱いラブシーンが繰り広げられているのだ。この夜に願いを短尺に書いて託せば叶うと云う。僕たちも欲張って色々な願いを書いて短冊を谷間の流れに浮かべた。少々気障っぽいことや、他人には云えそうもない秘め事も酒の酔いに任せてそっと願った。こうして、蛍の艶めかしい光がユラユラと舞うなんだか切ない夜は更けていった。

7月8日
 テント地を出発してから30分も経たないのに5人は驚いてしまった。それは、視界に飛び込んできた谷間浮かぶ冠山前衛の岩峰群があまりにも荒々しいからかったからだ。だが、谷そのものは幅広く平凡であった。滝らしい滝(F1:3m)に出合うまで2時間以上も要したくらいである。そのF1を左岸をからんで越えると谷の傾斜はやや強まり小滝が連続するようになる。遡行を開始してから時々姿を現す冠山の岩峰はますます威圧的になってくる。F14を登りきったところで昼食をとることにした。

 さらに進めば、谷は西へ曲がり核心部に入る。先ず、10m2段の滝が現れる。釜は小さいが深さは相当ありそうである。その上部には滝があるが、右岸を大きく巻いたので正確には確認はできなかった。再び流心に降り3mの滝を2つ越えると8mの幅の広いナメに出合う。この滝を時間をかけ慎重に登りきると、ここが樹林で被われた奥美濃であることを忘れさすほどの鋭く鋭角的な岸壁が眼前に立ちはだかるのである。冠山から派生する岩峰尾根の末端だ。その高さは100mはゆうに越えている。左岸の壁も右岸に劣らず高く鋭くそびえ立っている。そしてその両岸壁の中央に18mの斜瀑がかかっているのであった。その上部にも小さな滝があるらしいが、左へと曲がっているため良くは判らない。兎も角もこの滝は岩登りの道具がなければ登れそうにない。考えた末、僕たちは左手の尾根に取り付きこの滝を大きく巻くことにした。急な斜面をよじりじわじわと高度を上げていくが尾根をどうしても乗り越すことが出来ない。そして、もうこれ以上進めば進退窮まると思われる地点まできてしまった。とにかく引き返そうと決めてしばし休憩をとることにした。

 見上げる岩峰の上には蒼く澄んだ空が悠然として横たわり、白い雲が何事もなく流れて行くばかりである。そして、3時5分僕たちは立ち上がり下降を開始した。その時、足下にあったザックを誤って足で引っかけてしまった。テントの入ったザックは一瞬にして谷底に吸い込まれていった。ともかく引き返さなければならない。

 ほとんど休むことなく歩いて歩いた。それでも、ヒン谷の林道に出合った時は8時を過ぎていた。すでに、陽は暮れ周囲は光一つない闇である。昨日「熊に注意」の看板を見ているので、熊よけに大声で唄を歌った。誰かかが真顔で「なるべく下手に歌え」と云った。途中山仕事のトラックに拾ってもらい釣り客で賑わう徳山に着いた時、はじめて助かったと思った。と同時に、僕たちの地下足袋を履いた空身でずたずたの衣服をまとったの姿の異様さに気が付いたのであった。

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