貝月山(雑木林の回廊)

 かって僕は地図だけを眺め、貝月山を江美国境から派生した小さな尾根上のあまり目立たない平凡な山だと思い込んでいた。この山への興味は他にあって、その曰わくありげな山名や、複雑に折れ曲がった等高線や、海抜1234mと云う切れの良い数字に気をとられていたのであった。ところが、尾西の村はずれから望んだその山容は意外であった。

 空を限る稜線は決して人の目を驚かせるような派手なものではないが、周囲の山に対して独り豊かな量感と高度感をもって国境に連なる山々に対峙してるのであった。複雑を極める谷々は白い花崗岩からなり快いばかりに明るく、流れ落ちる瀬は濁りを知らぬかのように清冽そのものである。それにもまして、美束、日坂、諸家と云った山麓に点在する村々は名実ともにこの上もなく美しい。頂へ至る道はことごとく雑木林で被われ、四季を通じて移ろいゆく山々が織りなす風景がそこにはあるのである。

 そんな訳で、僕は過去二度訪れているのである。初回は初夏の頃、品又東谷からの旅であり、二度目は冬のさなか、日坂スキー場から雪の尾根を伝った、ラッセルの連続の山旅であった。そして今日は、落ち葉の季節が発ち始めた雑木林の中、火越峠への小径を辿ろうと云うのである。

10月15日
 火越の峠へ続く品叉東谷の林道はまるで雑木林の回廊をのなかを行く思いだ。花崗岩の子砂利の白い路上には早くも降り始めた木々の葉が鮮やかだ。路傍と云えばもう秋の野花で彩られている。薄紫はのこん菊、白い小さな五弁のあけぼの草、黄色の花はきりん草、淡い紅色はつりふね草、次々と現れる花々を手帖に記してゆく。オレンジ色の少し大ぶりほ花はふしぐろせんのう、秋のしおんは白色だ、−−−−−−。手帖は、たちまちに花の名に埋まってしまう。

 そんな花々が散りばめられた林道が大きくひとうねりすると小さな尾根の端に出る。するとトンネルから抜け出たような鮮やかさで国見峠を中心として展望がひらける。その国見峠は左右に国見岳と尾西山を従え、「どうだ、これが峠と云うもんや」とばかりにまるで絵に描いたように見事な曲線で尾根をたわませている。尾根の端をぐるりと巻き終えると再び径は雑木林のトンネルに入っていく。視線と興味は再び秋の野草へと移って行く。そして、いつの間にか辿る径は幅広い林道から野芝で被われた小径へと移っていくのであった。僕たちは、幾たびか支谷を横切り、本流を渡り、幾度も路傍の花や木の実に立ち止まり、時には写真を撮りながら火越へと高まっていくのであった。そして、もう一度トンネルから抜け出ると、はや峠であった。伊吹の円やかな頂とそれに連なる秋の色に染まり始めた北尾根を彼方に望んで、「ずいぶんと登りつめたんだなあ」と云う実感が込み上げてくる。

 火越の坂内村側は、今辿ってきた春日村側とは違い雑木の疎林の中にわずかにその痕跡を残すのみである。少し降ってみると、そのかすかな痕跡も失われてしまっている。けれども、何時の日にかこの失われた峠路を探し求めながら坂内村に抜けてみよう。そして、もう一つ何処かの峠を辿り近江へ越えてみよう。そんな事を思いながら峠へと引き返したのであった。

 貝月山へは峠から春日と坂内の村を分かつ村界尾根を辿れば四、五十分の距離であるが斜度は急である。高度が高まるほどに細雨とも霧ともつかぬ細かい水滴を含んだ冷気が僕たちを包み始め、木々達は秋の色を濃くしていくのであった。少し立ち止まればにじんだ汗がヒヤリとし、はく息は白くなった。

 11時45分貝月山山頂着。秋の只中の海抜1234mであった。

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