晩秋の峠(百池峠・新穂峠)

1日目
 稲田の畦に曼珠沙華が真紅の炎あげ、野を渡る風がその炎を揺らめかせ始めると、訳もなく誰もいない、誰も通わなくなった峠道のことが気にかかり始める。夜更け使い古した地図を開けると、テント一つと数日分の食糧と、いつもより少し贅沢めの酒を詰め込んだザックを背負った峠から峠への旅への思いが徐かに拡がって行く。

 これから越えようととする近江と美濃を分ける尾根に横たわる「百池峠」もそんな峠の一つなのだ。森本次男氏の「樹林の山旅」の中で出会ったこの小さな峠には古い伝えがある。話はこうである。「ある日峠を旅する一人の石工に村人が水場を彫って欲しいを申し出た。しかし、その村人は百文しか持っていなかった。それでも石工は快く花崗岩に百文で小さな池をを彫ったのであった。そして何時しか、人はこの峠を百池峠と呼ぶようになったと云う。」

 起点が何処だか分からないが、峠路は姉川に沿って始まる。最奥の村である甲津原を抜けると路は本流を離れ、瀬戸山谷に入る。そして、その先には一組の親父と若者が小屋の番をするスキー場が開けていた。一夜の宿を請うと快く一室を開けてくれる。夕食後、二人が一升瓶をさげて「いっしょにやろうと」やって来る。勿論、僕たちは歓迎だ。そして、茫々たるススキの原を借景にした宴会の始まりである。人恋しいのであろか、一緒に杯を酌み交わす二人組は酔いが深まるほどに、山のこと、村のこと、峠にある小さな池のこと等色々と話してくれる。そして、知らぬ間に山奥の寂とした夜は深々として時を刻んでいったのである。

 外へ飛び出すと、恐ろしいまでに明るく大きな月が激しく流れる雲間に浮かんでいるではないか。田渕氏と僕は、大きなアルミの食器になみなみと酒を注ぎ、それに月を映してグイと飲み干したのである。これぞ「月見酒」と云うものである。才ある人ならば詩賦の一つでも出てこようところであるが、凡なる二人はただ「凄い、うまい」を連発するのみであった。

2日目
 8時を少し過ぎた頃、昨夜の礼を云って僕たちは山小屋を後にした。親父に教えられたようにスキー場の端を横切ると知らぬ間に旧道にを伝うようになる。路は花崗岩の上を流れる美しい瀬に沿ってあり、その瀬の水辺にはすっかり衰えた草々が無表情に鎮まっているばかりである。右手にエボシ岩と呼ばれるちょっとしたガレ場を見送り、小さな滝を過ぎると越美稜線は急速に迫り、そして峠であった。

 小さくて、狭い峠にザックを下ろし越えてきた近江を振り返り、そして美濃の国を眺めた。重畳として重なり合う山々、そして谷々の限りなきうねりはいくら眺めても見飽きることはない。地図を拡げては山を見渡し、また地図を見る。いつしか、想いは彼方へと飛んで行くのであった。

 峠を辞して美濃側に入ると直ぐにガレ場が2つ続いてある。そして、百文の池はそのガレ場から数分の処にあった。苔むした花崗岩に彫られた池は、本当に小さなものであった。水を湛えた池には数枚の木葉が浮かんでいた。僕は、その中の2枚を取り去り口で池の水のすすった。水は決して美味しいとは云えなかったけれど、無性に嬉しい一時であった。

 池を過ぎると路は何度もジグザグを繰り返し、いつしか谷の瀬音を聞くようになる。人の足音が途絶えてから久しい路は、たびたび雑木林に紛れてはまた現れると云う調子で続いている。谷間の逆三角形の空間には秋の澄み渡った瑠璃色の空があり、透き通った秋の風がそよぎ、乾ききった秋の軽やかな音があるばかりである。

 1時丁度に「火越」へ通じる谷に出合う。予定していた火越より貝月山は、時間的にあきらめなければならない。その代わり、河原にある大きな花崗岩の上に陣取り贅沢すぎるくらいゆっくりと昼食をとることにしたのである。止まると、にじんだ汗が冷たく感じられた。友は、はく息が白い事を教えてくれる。谷の心地良い瀬音を耳にしながら山の大気の只中で、仲間と一つのホエーブスを囲み紅茶を沸かし、パンをかじり、三角チーズをほおばった。至福の時はゆったりと流れていくのであった。

 昼食を終え河原を上がりしばらく進めば、峠路は突然現代の真只中で終わりを告げる。揖斐高原カントリークラブの出現である。そのクラブの綺麗に刈られた芝生の真ん中を横切り右手に日阪への路を岐け、諸家へ続く品又谷に沿う細い車道に入ると再び晩秋の山の鎮かさがよみがえってくるのであった。テント地を探し、散り落ちた木々の葉を品定めしながらの夕暮れの林道もすてたものではない。それはそれで、楽しいものである。いつしか、両手は、極彩の落ち葉でいっぱいになっていた。

 狭い谷間が開け、谷の堆積地に田圃が点々とし始めると諸家の村が見え隠れ始める。北の空には蕎麦粒山がそびえ立ち、その下を白川が流れている。刈り入れを終えた稲田は寒々とし、諸家の村は深閑としているばかりであった。僕たちは、村はずれの鎮守の杜を少し過ぎた広い河原でテントを張ることにた。

 夜は、赤々と炎をあげる豪勢な焚き火を囲み、本当に8種類の具の入った八宝菜に感激し、ほろ苦いウイスキーにホロリと酔い、大城氏の玄人はだしの懐かしのメロディーに、はたまた尾高さんの年期の入った安曇節に酔いしれたのであった。

 3日目
 いかにも山らしい冷気に満ちた朝がやってきた。しびれる様な冷たい谷川の水を両手ですくい、顔を洗い、朝の清らかな大気をいっぱいに吸い、そして今日越える新穂峠の方向に視線を向ける。山々は白いもやの中にあって深くて遠くに感じられた。

 新穂谷の林道は牧場で尽きていた。そこには、丸顔で切れ長の目をした色っぽい犬といかつい兄ちゃんがいた。声をかけると気安く話しかけてきて峠の事を教えくれる。地図では路は谷づたいになってるが本当は途中から山腹を巻いている等と親切な説明で、迷うことなく取り付き地点をを見つけることが出来る。

 峠路は兄ちゃんの云うとおり、途中から谷を離れ山腹を巻きながら徐々に高度を上げてゆく。路はいくつもの支谷を渡り、ある時は支谷に入り、また山腹に戻る。山靴はもう路まかせで行く手を定めるだけだ。そして、いつの間にか峠であった。

 峠は、秋と冬が入り混ざった雑木の中で清閑と鎮まっていた。ザックに腰を降ろし目を閉じると、かすかに、冬のにおいがする。耳を澄ませば、北からの朔風が木々の枝を渡る透き通った音が聞こえてきそうであった。

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