最後は長良川と合して伊勢湾に流れ入る揖斐川は、河口より約50km程遡った落合のあたりで一大支流である根尾川をほぼ真北に分ける。根尾川は、その流域に多くの村落を置き去りにしながら次第に細って行き、ついにその流れが極まるところに、美濃と越前とを分かつ海抜千数百メートルの重畳とうねる山なみが横たわっているのである。そして、そには二条の細い峠路が刻まれている。一つは、今は国道157号線と化した温見峠であり、いまひとつはこれから辿ろうとする蠅帽子峠である。
この蠅帽子峠の美濃側の起点は根尾川最奥の今は廃村と化した大河原であり、越前側のそれは、これ又笹生川のダム湖にに消え去った村であり、勿論もはや、行き交う人など誰一人としていない滅び行く峠路である。
だがこの峠路はかってこの地方にあっては要所であったらしく、幾たびか歴史の舞台に登場する。良く知られているところでは、古くは戦国乱世の時代、織田信長が一向一揆の衆に向けた軍勢が越えたと云う。また近くでは、近代日本の夜明け前、武田耕雲斉を将とする水戸の浪士が雪をおして越えていった話しはあまりにも有名である。
しかし良く考えてみると、これらのことは時の流れの一瞬の気まぐれでしかなかったと思えてならない。この路を刻んだのは数限りない旅人であり、野の人々であったのだ。どれ程の人がこの路を踏みしめて行ったのであろうか。どれ程の汗が流れたのだろうか。どんな想いで越えていたのだろうか。想いは時空を越えて茫々として広がり、また一つ峠路への旅が始まるのである。
10月21日(終日雨)
「路はその尾伝いにあるで幅はこれくらいじゃ。そらまではいっとらんけ、ようは知らんけど・・・・」と両手を肩幅くらいに広げて答えてくれる山仕事の親爺との会話で旅は始まった。「ほれ、そこに地蔵さまがあるじゃろ。」とその親爺が教えてくれたとおり尾根の端にある文化五年辰四月と刻まれた地蔵の前を過ぎコワタビ谷に少し入った杉林を10mほど上ると古路に出会う。なるほど路は幅広く深くえぐられているが、灌木の枝が両側から張り出しがひどく、想像していた以上に路は荒れていた。だが下部の急斜面だけで、高度が増すにつれて路は次第に明瞭になっていき完全に尾根に乗りきってしまうと、鮮やかによみがえるのであった。路はほとんど傾斜を感じさせないほど、尾根の上を左右に細かく時には大きく数えきれない程のジグザグを繰り返しながら、それも一本ではなく数本が交錯しながら続いている。進む方向に向かって右側がコワタビ谷、左側が小倉谷である。コワタビ谷はそんな遠くない時期に一度伐採されたのであろう、右手に谷を見るようになるなると路は背の低い灌木帯に入り急に歩きづらくなる。それに比べ小倉谷側は伐採された形跡が無く、路もよく残っていて歩きよい。
尾根上にある高度約900mの突起は、小倉谷側の山腹を巻くようになっていて快適である。高度が上がるにつれて、周囲は葉を黄色一色に染めた山毛欅の大樹の極相林に占められるようになり、旅情はいよいよ深まっていくのであった。
眺めと云えば、もし晴れていれば木の間越に能郷白山をほぼ真西に望むことが出来るはずだが、朝からの雨模様で、空は霧に白くけむり全く高度感を失った越山が左手前方にわずかに見え隠れするのみである。
900mの突起を巻き終えると路は再び尾根に戻り始める。そして、慣性でも付いたかのように再びコワタビ側の斜面へと入っていく。藪の中の路を一時間ほど進み国境稜線が間近に迫ったと感じられるところ、高度にすると950mあたりで路は再び尾根上に戻り、今度は峠に向かって小倉谷側の斜面を大きくトラバースを始める。さすがに急斜面に刻まれた巻き路は荒れていて、目を凝らさなければ見失いがちになる。朝から断続的に降り続いていた雨が突然強くなりザワザワと樹林を鳴らし始め、山々は一段とその陰りを濃くしていくのであった。途中桧が数本茂る小さな尾根をの乗越すが本当の峠ではない。だが、目指す峠はもうそこにある。
午後一時峠着。とうとう峠に辿り着いたのだ。ここが、奥美濃と云う山塊にとりつかれて以来いつの日にかと思い続けてきた蠅帽子峠なのだ。雨に濡れたリュックを肩から降ろし、その上にゆっくりと腰を据えると次第に喜びがこみ上げてくる。その喜びは頂を極めた時のような開放的なものでは無いけれども鎮かでしみじみとしたものであった。
僕たちは、峠におわす一体の地蔵様の前で、青白い炎をあげるフォェーブスを中心に円陣を囲み、体を震わせながらパンをかじり白い湯気を上げる温かいスープをすすった。そんな食事の最中、越前から美濃へ吹き抜ける風に乗って横ざまに降っていた雨が突然霰と化してアルミの食器をパチパチと鳴らし始めた。その音に、ここが冬も間近な雪深い海抜1000mの越美国境稜線であることを改めて思い知るのであった。
午後一時三十分峠を辞し、山靴の先を越前へと向ける。相変わらず路は左手に谷を見ながら山腹を伝って続く。もう随分と回り込んだと感じられるころようやく尾根に辿りつく。だが路は、降り積もった落ち葉に埋もれてしまって最早見分けがつかないほどである。
この路から人の足音が途絶えてどれ程の年月が流れたのだろうか。それは、人々が営々として刻んだ歳月に比べるとそんな遠い日ではないはずである。なのに、人々が汗をして成した業は早くも消え去ろうとしているのだ。ならば木々達よ、「一期は夢よ」とばかりにいさぎよくそその葉を散らすのも良かろう。そんな思いにかられながら、もう路のことは忘れ思い思いの斜面を落ち葉を鳴らし降りて行くのであった。
尾根を下りきり谷に出会った頃、ようやく雨も収まりのでちょと贅沢な休憩をとることにした。今まで雨にざわめいていた山々は静まりかえり、木の葉一枚の舞い落ちる音さえも聞こえてきそうな一時であった。秋の、それも山中の一日は短い。再び立ち上がった時には、谷底には漆黒の闇が迫り始めていた。僕たちは、そんなあやふやな谷を急いだ。そして、周囲から殆ど光が失われたころ、大きな沢胡桃の木の下でテントを設営したのである。
10月22日
いかにも秋らしいきりっとした冷気の中で蠅帽子川の朝は明けた。テントから首だけを出しで仰げば、雲一つ無い蒼空が木の間の向こうに広がっている。先ず、昨夜集めた枯れ木に火をつけ冷たい手をかざし、湿った体と衣服を炎で暖めた。焚き火からのぼる紫煙は谷間を緩やかに流れ、何処ともなく消えていく。谷からせり上がる斜面には朝の淡い光が射し、木々の葉は極彩色に輝きはじめている。そんな心ゆるげな朝のひと時、飯を炊き、釣ったばかりのイワナを焼き、茶を沸かし、時間をかけて朝食を楽しんだ。そして旅立った。
辿る蠅帽子川は、色も鮮やかな黄葉とやわらかな木漏れ日のなか陶然として流れている。やがて右手に林道が現れると旅路は谷の瀬に別れをつげる。後は、この長い秋の色一色に染まった林道を辿るだけである。
路傍には尾花がその尾を、我を忘れたかのように風の吹くままに揺るがせている。目を足もとから放てば、細くて淡くそれでいてきりりとした巻雲がたなびく碧瑠璃の高空が広がり続いている。
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