−貝月山(1234m)−

日時 2004年11月6日(土)
地図 横山(2.5万図) 岐阜(20万図)
天候 快晴
メンバー 松浜 加瀬 笠谷 川北
アプローチ 国際会館(8:00)→今津→木ノ本→八草トンネル→坂内村ふれあいの森(10:25-35)
コース ふれあいの森(10:35)→尾根コース→貝月山(11:50-13:10)→日越(13:45)→ふれあいの森(14:30)
その他 紅葉の盛りでした。

コース

雑木林は、紅葉の盛りです。
1234m 貝月山山頂
山毛欅木も紅葉の只中です。
日越の旧道を辿りふれあいの森へ。

11月6日
 10月も終え11月の声を聞くと、山々は急速に色づき始める。大気は乾燥し、吹き抜ける風は透明度を増していくのである。奥美濃が年中で最も極彩色に輝く季節なのだ。

 京都を8時に出ると丁度2時間半ほどで岐阜県坂内村の「ふれあいの森」に着くことが出来る。夏には人々で賑わっているのあろう森も、今は深閑として鎮まっている。登山者のものと思われる車が2台止まっているだけだ。

 10分ほどで支度を終えると、山旅の始まりだ。周辺はよく整備され、どの道を選択するかと戸惑うほど、標識が至る所に立てられいる。僕たちは左手の尾根から山頂を目指す計画なので、左よりの標識を辿りながらしばらくは谷沿いの道をたどることにした。

 もう、花の時期は終えたのであろう、僅かにシオンらしき花が咲き残っているだけである。10分ほどで林道をよぎると、いよいよ尾根への取り付きである。斜度は徐々に増して行く。僕たちは、いそいだりははしない。一歩一歩確実に階段状の道を踏みしめる。それでも、視界は意外な速さで開けて行くのであった。周囲の雑木林は、紅葉のさなかである。シロモジ、ミズナラ、ブナなどが思い思いの色彩で装っている。まるで、万華鏡の中にいるようである。加瀬さんと笠谷さんは、植物には大変詳しい。にわか植物愛好家の僕など足下のも及ばない。30分ほどで一息入れることにした。額に滲んだ汗を拭き、呼吸を整える。そして木の間越しに周囲の山々を眺める。僅かではあるが乾ききった風が吹き抜けて行く。幸せな一時である。

 そして、今日最後の登りである。台風のため道は大変な被害を受けたのであろう、至る所に真新しい土嚢が積まれている。25分ほどで、前方にアンテナらしきものが視界に入ってくる。山頂だろうか。時間にすれば15分ほど距離である。

 アンテナが視界全体を占めるほど大きく迫ると、眼前が急に開け、放り出されるように広場に飛び出る。やはり1234m、貝月山山頂であった。広場は、以前に比べると随分と広くなっていて、テーブルや、展望台などが設置されてある。そして、大勢の登山者が次々とあらわれる。以前のような、何もない、誰もいない、静かな山頂ではなかった。少し寂しい気持ちになるが、それはそれとして受け入れよう。ただ、コンクリート製の展望台だけはどうしても余計なものに思えてならなかった。

 さすがに、展望の素晴らしさは以前と変わりなく素晴らしいものであった。北に向けば、眼前に横山、蕎麦粒が直ぐにそれと判る形状で迫っている。目線を上げると、能郷白山が豊かでおおらかな山容で横たわっている。そして最奥の空には、既に冠雪した加賀白山が霞んでいる。振り向けば、尾西、三国を従えた伊吹が堂々たる質感で空を限っているのであった。使い古した地図を見ながら次々と現れる山々を定めていく。時間は知らぬ間に過ぎていくのであった。

 僕たちは、少し長い昼食を採ることにした。先ずは、ビールで乾杯である。そして、暖かな秋只中の柔らかな日差しを受けて思い思いの時間を過ごし、山頂の一時を満喫したのであった。

 1時間半近い昼食後、かっての唯一の登山道であった村界尾根を辿り日越へと向かう。道は昔より良く整備されていて随分と歩きよい。ただ、根曲がり竹が茂り展望が悪くなっている。30分ほどで日越に到着。美束側に少し下ってみたが、背の高い草が両側に茂り荒れていた。最早、この道を辿る人は殆どいないのであろう。それにひきかわり、坂内村側の道はよみがえっていた。山腹を巻くように付けられた旧道は、紅葉の只中の山毛欅林に覆われ旅情に満ちあふれている。僕たちは、決して急いだりはしない。何度もザックを下ろしては写真を撮り、振り返り振り返り辿って行くのであった。足下には、ツルリンドウがワインレッド愛らしい実を付けている。

 そして旧道が林道と合っすると、今日一日の山旅も終わりである。時計を見るとまだ2時を少しまわった時刻であったが、林道におちる影はもう長かった。

例会予定.報告   青春の貝月山